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Hello!! from Tokyo.

コロナを機に新しい業界に飛び込んだ元旅のプロ。東京一人暮らしのミドサー女子が今日も日常を綴ります。

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考える、家族のこと。〜親との関係〜

目が覚めた。

今日もまた1日が始まる。

今日は仕事。

さてどんな1日にしよう。

 

すっかり秋めいてきた東京。もう肌寒い。

秋が一番好きな季節の私はなんだか妙にウキウキする。

 

さて気付いたらもう今日で今月も終わり。

毎月書いている考えるシリーズ、色々調べてて今月まだ書けていなかったので滑り込みで30日にアップ。

 

今月は家族について。

といってもあんまり穏やかな話ではなく、昨今の家族とはということで、今回は子供側からの話。

 

近年よく見かけるニュースで、子供が親や祖父母を殺めてしまうというものがある。

昔から親殺しというのは罪深いことである。子供が引きこもりで家庭内暴力も酷く、親や祖父母が手を焼いていた挙げ句の出来事というものも多い。その一方、親が悪いというものも多い。

 

『親なんだから大切にしなければ』という言葉や考えがあるけど、それが重くのしかかっている人もいる。

中々切ることの出来ない太く強い絆。それが親子である。

たとえそれが良いものでも悪い物でも。

そんな状況を少し覗いてみたいと思う。

 

さて今回は徹底的に子供側からの視点で記載していくので、子を持つ親の皆さんすみませんと最初に謝っておく。

 

最近、日本でよく耳にする言葉、毒親』『自己肯定感』この2つのワードを軸にして親子について話していこうと思う。

 

まず『毒親

一体いつからこの言葉が使われるようになったんだろうと調べると、一番最初にこの言葉を作ったのは1989年に発表された、アメリカのスーザン・フォワードの著書、Toxic parents, overcoming thier hurtful legacy and reclaiming your life(日本語訳:毒になる親、一生苦しむ子供』である。

これは1999年に日本語訳で発売されている。

 

またこの本から『虐待』という概念自体が、新しく認識され、日本国内で虐待が実質的に社会問題になったのは2000年頃となっている。

 

ではこの毒親とは一体どういったものなのか。

著書の中で、毒親とは『過干渉や暴言・暴力によって子供に重圧を与えたり、親の都合を優先し子供を構わなかったりする親のこと』だとしている。

 

うちはそんなことしていないと思う親が大抵だと思うが、あからさまなものだけでなく、例えば子供に対してでなく、いつもいつも怒っている、イライラしている親の側にいることもある意味暴力である。親のそんな姿を見ている子供は自分も怒られるんじゃないかと、いつもいつもビクビクしてしまう、自分の思うことが言えなくなってしまうようになる。

 

比較。お姉ちゃんはこれが出来るけどどうしてあんたは出来ないの?など比べたりする。兄弟ばかりを可愛がり、自分はそうではない。寂しい。

良い子にならなくちゃ。私もほめてもらえるようにいい子にならなくちゃといい子を演じるようになってしまうようになる。

 

それが親に対してだけでなく、他の友達や他人に対してもそうなってしまうのである。他人の顔色を伺うようになるのだ。

 

ここで出て来る言葉が『自己肯定感』

これは『自らの在り方を積極的に評価出来る感情、自らの価値や存在意義を肯定出来る感情等』を意味する。

 

この自己肯定感が低くなってしまうとどうしても『自分はなんてダメなんだろう』などという感覚にとらわれネガティブに作用してしまう。

 

これも定義によると毒親と認定される。

 

過干渉なのもそう。

からしたら心配して守っているつもりなのかもしれないけど、子供からしたら、狭い鳥かごの中に入れられて、親の思い通りの自分でいるだけ、なんてこともある。

 

そんな、それを全部親のせいにされてもね!弱いわ!私たちの頃なんてね・・・なんて言いたくなると思う。実は私の親、特に母親がそのタイプである。

 

でも現実問題、そういう積み重ねや習慣で、私はダメなんだとか自分に自信が持てないなどネガティブな思考に陥ってしまうのだ。

 

明らかな毒親、例えば虐待だったり暴力を受けていたりというのが原因でなにかしら行動を起こしてしまったりというケースももちろん多いけど、最近はこの、『実はこの行動や言動も毒親だった』ということも少なくなく、それに気付いた時に、憎しみに変わってしまって、ということも少なくないと思う。

後者の方はさほど暴力的なことにはならないと思うけど、関係について深く悩んでしまうということが多く起こると思う。その結果ぎくしゃくしてしまう。うまくいかなくなってしまう。

 

だから毒親というのは、きっと人それぞれで、いろんな定義があるんだろうな。その人が辛いと思えばそれはもう毒親なんだと思う。

 

現に私も、このコロナ禍で自分と向き合う時間が増えて、ふと自分のトラウマについて深く掘り下げてみようと思った。自分1人ではあまりにもキツい作業だったので、専門の方の力を借りてみたところ、その過程で両親、というより母親が思いもかけず登場してきた。

 

私は母ととても仲が良い。私は西日本出身なこともあり、キツい言葉使い等は慣れている。母も例にもれずキツい言葉使いをする。

あんたは太い、あんたはガタイがいい。ゴツい。色気がない。妹は可愛くて女らしいのにねぇ。友達の●●ちゃんはこんな可愛いのにあんたはみすぼらしいねぇ。その仕事どうなの?違う仕事探したら?などなど・・・

掘り下げていくと、そうやって母に言われてきた言葉が私の中の無意識な部分に傷をつけていて、それが要因の1つとなって色々なことを形成し、そこからトラウマへと繋がっていった。もちろん母が原因のトラウマではない。でもほんの数ミリでもその要因に母があった。

確かにキツいこと言われてグサッと刺さっても落ち込んでも、受け流せていると思っていた、というか母親の言葉というのはもはや呪文で、言われると「あぁそうなのか」と思い、いくら友達に否定されても中々その呪文はとけない。

 

だからこそその結果に戸惑った。まさかと。仲が良いし、何より私は母が好きである。大好きである。

 

でも次に私に来た感情は、『憎い』だった。

母のせいでこうなっている。

どうしてそんなこと私に言ったの。

腹立たしい。

連絡が来ても嫌な気持ちになるばかりで、「私は母が嫌いかもしれない」と思うようになり、「嫌い」まで行ってしまった。正直な話。

 

そして距離を置くようになった。

連絡が来ても、正直冷めた気持ちで眺めていた。

それでもいつも通りにくる母からの連絡。

 

親に対してこんな感情を持つなんてどうなんだろう。私はなんて奴なんだ。いや恩知らずの自分勝手なだけのまだまだ子供ってことなんだろうか。

いやいや、でもどうしてもこの母親に対するネガティブな感情を消せないと、かなりモヤモヤしていた。

 

私はこのどうにもならない感情を、友達に話してみた。

その友達は私の両親とも面識があり、話してみると、

『正直私はずっと、なたりーはこんな風に言われて嫌じゃないのかな?傷つかないのかな?って思ってた。だって、言い方結構キツいし、干渉も結構あるよね』

という言葉が返ってきて、私のこの『親にこんなこと思ってしまうなんてなんて奴なんだ』という負い目が少しある感情を肯定してくれたことに安堵すると共に、友達から見てもキツかったし干渉されていたのかという事実にショックを受け、でも何だか母親を悪く言われたような気がして少し反発心が芽生えた。

 

憎い人のことを友達にも言われると、反発心が起こる・・・ということは私は少なからずその人のことを嫌いではないと気付き、そこから自分の気持ちを文字としておこして言語化して、自分の気持ちを整理していった。

そうすると絡まりまくっていた感情が少しずつほどけていき、また書くことによって客観的にとらえられるので、母側からの目線も考えることが出来、今ではまた普通に付き合えるようになった。

『やはり私は母が嫌いではない、好きである。』

 

でも前と違うのは、傷つくことを言われたらその場で『その言い方はないよ、私そう言われるのは嫌』とい言えるようになったこと。

『やはり私は母が嫌いではない、好きである。

でも心ないことを言われるととても傷つく。例え親だろうと関係ない。』

というのが私の導き出した感情の答えである。

 

だから、親(じゃなくても)に対してネガティブな気持ちを持っている人は

・第三者にその不満を吐き出し、聞いてもらう

・自分の気持ちを包み隠さず書き出してみる

・専門家の力を借りる

 

ってことをしてみるといいと思う。

 

でも私は、親は大事にしましょう!とかこれで親と仲良くなろう!なんてことが言いたいのではない。

そうやって自分の感情を自分で知ることが大事だということを言いたい。

 

そして分析する。

 

ただムカつく、ただ腹立つ、ただ嫌い。

じゃない、どうしてそう思うのか深く掘り下げてみて、解決出来るなら解決する。出来ないものは出来ない。違う案を考える。

 

親だからと言って遠慮することはない。

自分にとってどうしても辛い存在になってしまうなら、距離を置いてもいいと思うし、なんなら凄く労力のいることだけど縁を切ってしまっても良い。親だからといってもそれぞれの人生がある。親のせいで私の人生台無し、なんてこと思って欲しくはない。

今の状況でどうしてもそんな感情になってしまう、環境でそうなってしまうということなら時間をかけて長い目で考えたり、また環境を変えてみたらいい。

人は本来自由だよ。でも自由には覚悟がいる。責任がいる。

まずは自分と向き合って、知って、理解しよう。そして考えよう。

 

SNSなのかインターネットなのか文字離れなのか何が原因なのか知らないけど、簡単に情報が手に入る時代で、深く考えることが少なくなってきている昨今。

なにかあって理由を聞いても答えられない人が年齢関係なく多くなってきていえるように思う。

なんとなく

便利な言葉である。これは本能的な言葉なんだと思う。特に深く考えない、直感などの世界。

人間には理性がある。

せっかくそんな素晴らしい能力与えられてるんだから、ちょっと立ち止まってしっかり考えてみて欲しい。

 

誰の物でもない、自分の人生。しっかり歩こう。

私は、歩くよ。でもゆっくりと、時には立ち止まりながら。

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