目が覚めた。
今日もまた1日が始まる。
今日は仕事。さてどんな1日にしよう。
特技って何?と聞かれると私は『字』と答える。
小学校2年生~中学3年までずっと書道を習わせてもらっていた。
書道5段。
中学の時には書初めで日本一の賞をとったこともある。
高校では物理的に通えなくなってしまったので、教室は辞めたけど、私の高校は芸術授業(音楽・美術・書道)はどれか1つだけ受けられるという選択制だったので、悩んだけど私は書道を選択。
授業で作品展に出してみましょうという流れになったので私も参加した。
そこでも賞をもらった。
結構大きな賞で、全校生徒の前で表彰レベルだったけど、私はバレー部。書道部には属してなくて、そして書道部は誰も入選していなかったので書道部を差し置いてバレー部がというのはまずいということになり、授業中に表彰されるに留まった。
もちろん上には上がいるし、私はその高校での授業以来、習慣的に書いているわけではないので腕はどんどん落ちているが、書くこと自体が好きなので写経などがあれば参加したりしている。
数年前までは知人からの依頼で年賀状の筆耕をしていた。何百枚と書くけど、これが不思議なもので全く苦ではなかった。むしろ楽しい。
ただ、それくらいしか実績がないのと、筆耕としてはまだまだなので(狭い世界みたいだし)仕事をもらうこともなかったんだけど、先日ひょんなことから声を掛けられ、昨日行ってきた。
このご時世、個人情報の管理には厳しいので先方の会社まで行き、ひたすら書く。2時間。段々筆が乗ってくる。
合計75通。あ~楽しかった!
今日はまたその続きを夜にしにいく。楽しみがまた1つ増えた。
自分の得意なこと、好きなことを仕事に出来るって幸せなことだな。
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さて、ほんの数日で私は生活のリズムに慣れた。
毎日楽しかった。2日目から朝食にはレーズン食パンが出た。私はレーズンが苦手で日本では食べれなかったけど、せっかくだしと食べてみるとなんと美味しいこと!!おかげで今ではレーズンパン好き。もちろんお供は紅茶である。
そして毎日ケンタッキーを食べた。
(当時、オーストラリアではマクドナルドよりケンタッキーの方が主流であった。私は無類のマクドナルド好きなので、街にあるマクドナルドに行って食べてみたけど確かにいまいちで、ケンタッキーは抜群に美味しかった)
最初の週末はキンタンと動物園へ行った。
オーストラリアに来たからにはやっぱりお会いしないとね!
なんかカンガルーっておじいちゃんみたいだなというのが第一印象。
ここにはあとコアラやウォンバットもいた。
なかなか楽しい動物園だった。
(写真があんまり残っていない・・・)
そんな中、私はすこしキンタンに疲れていた。
私は比較的一人でも平気なタイプだけど、キンタンは一人は嫌というタイプ。
彼女は四六時中行動を共にしたいようで、さすがに四六時中はキツかった・・・
その頃にはヨーロッパからきた金髪美女のキャサリンと3人でよく行動することが多かったんだけど、なんにせよキンタンは同じ学校・同じステイ先・同じ部屋。どうしても一緒に過ごす時間が多かった。
せっかくオーストラリアまで来てるから私は出来るだけたくさんの人と出会い、交流をしたいという思いが強かった。
なので最後の週末はキンタンとではなく日本人のグループに混ざってショートトリップへ出掛けた。
日本人の生徒たちとはほどよい距離感で付き合っていたのでお誘いをしてくれたのだ。
行先はパースといえばの観光地、ウェーブロック。
張り切って朝早く出掛け(一人で家を出れることに少しホッとしている自分がいた)、張り切って集合場所に行くと、今日はウェーブロックには行けない!と係員に告げられる私たち・・・えぇぇええぇ。
ということで代替え案が出されたのが
フリーマントル?って感じだったけど係員からの、
「刑務所の見学が出来るよ」
との一言で、私は行きたくて行きたくて行きたくなった。笑
(私の一番最初に描いた将来なりたい職業はFBI心理捜査官。ということで警察や犯罪に関してはとても興味があるのだ)
ということで、ウェーブロックではなくフリーマントルぬ向けて出発した。
バスに揺られること30分ちょっとくらいで到着。
案内人に従って各地の説明を受け、フリータイム。
私が訪れた時は違ったけど、今ではここはオーストラリアの囚人遺跡群として世界遺産に登録されている。
とにかく広い。大きい。
なかなか見ごたえがあった。
久々によく日本語を話した1日でもあった。
もはやどこで撮ったかも覚えていない写真たち。
パースの街に戻ってきたのは夜だった。
せっかくだしと街でご飯を食べて帰宅。
観光らしい観光をしたのはこの2か所くらいである。
たった2週間で平日は学校に通っていて、終わってからもたまに友達と出掛けたもののそんなに大きな街でもないし、キンタンと近所を散歩したりすることが多かったのであまり出掛けたりしていない・・・
それでもキンタンとは英語でしか話せないし、帰ったらママは英語だし(離れにいる日本人男子とは3日に1回くらいしか顔を合わせていなかった)とにかく英語漬けの2週間に自然となっており、結果、私はたった2週間で独り言も寝ている時の夢も英語となった。
無意識だったので、気付いた時には驚いた。
学校の授業は日本で受ける授業と大差なくても、その他の環境が私を英語漬けにさせてくれたのだ。
というわけであっという間に帰国の日。キンタンとは家を出るときに別れて私はまたパースの空港からバンコク行きの飛行機へ乗った。
その機内にて。
隣に座るタイ人に話しかけられた。
しばらく英語で会話していたんだけど、その人に急に
「へい!なんでタイ語で話さないの?」と言われ・・・え!?
なんと彼は私も同じタイ人だと思っていたのだ。笑
確かにタイっぽい顔をしているわたし。
私日本人だよというと、とてつもなく驚いていた。
今回は3人ほど日本人の友達たちと一緒だったので、これまた長いトランジットも飽きることなく過ごせた。
もう行きで買ったエセ日本ドリンクを買うこともなかった。笑
一緒に過ごした友達たちは名古屋行きだったのでバンコクの空港で別れ、一人自分の飛行機に乗った。
もう帰ってこれないかもしれないと思っていた日本に帰る。
到着し、入国審査を受け、荷物を引き取り出口を出ると、両親が待ってくれていた。
あぁ帰ってきた・・・!!!
なんだか思い返すと2週間夢みたいな出来事だったなぁと。
話すことはたくさんある!と両親と空港で軽くご飯を食べた後、駐車場に向かい、スーツケースをトランクに積み込もうとしていると母親から、
「・・・あんたスーツケースのベルトは?」
と聞かれた。
え?そういえばベルトかけていたな・・・あれ、でも今見るとない・・・
「えぇ?大丈夫なの?なんか盗られてないの?調べな!」
と促され、中を開けてみてみると・・・
使いきれなかった現金がない・・・
全く使わなかったトラベラーズチェックはある・・・
「あ・・・お金ない」
多分3万円くらい。
当時の私は持ち歩いて盗られるのが怖かったので、出発前に不必要な現金やトラベラーズチェックはスーツケースに入れて預けてしまっていた。それが安心だと思っていた。
しかし、そんなことはなく、X線検査にかけると中身丸見えなので、そこに金目のものが入っていると荷物係が開けて持って行ってしまうのだ。
そして私のスーツケースはロックがかかるものなどではなく、チャック同士を簡単な南京錠で止めているだけだった。そしてその南京錠もなくなってた。
なんてボサッとしとる子!!!と叱られたが、当時の私は驚くばかり。
(今考えたらありえない・・・)
まぁこれも勉強になったんじゃないと両親から言われた。そして学んだ。
私ってやっぱりどこか抜けてるよなぁと思った出来事であった。
短大の新学期が始まった。
久々に顔を合わせた友達に聞かれることはやっぱり
「どうだった?」
である。楽しかったよ~!勉強になった!といろいろと旅の思い出を話す。
そして同時期に旅立った友達の話を聞くと、
やはりロサンゼルス、日本人がめちゃくちゃいて日本人としかほぼ話してないし日本人としかつるまなかったとのこと。
出掛けるスポットが多くて楽しかったけど、英語の勉強が出来たかと言われれば出来なかったとのこと。
やっぱそうなのか~。
私は対して出掛けたりもしていなかったけど逆に英語の環境に身を置けて勉強になったなぁ。
授業が始まった。
今日はプレゼンしないといけなかったので、いつものようにプレゼンしてたらクラスメイトの私を見る目が全然違う・・・え?なんか間違えた?
と思ってソワソワしてたら、
「え・・・発音が・・・別人みたい。ホームステイってすごいな!!!」
って言われた。
自分では全く意識してなかったけど、発音がとてもきれいになっていた様子。(そしてそれは今でも話す外国人によく言われる)
うれしかった・・・ホームステイしてよかった・・・
そして私の変りぶりに刺激を受けたクラスメイトがその年の冬に同じパースにホームステイしに行ってた。
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というわけで私の唯一の海外生活、2週間のパースでのホームステイについて書いてみました。
行ってみて感じたのは・・・
・自分の目的を明確にする
→私は英語をしっかりと身につけたかった
・目的に合った行先を吟味する
→友達のように、行ってみたら日本人しかいなくて全然英語の勉強にはならなかったということも十分にありえる話。雰囲気と観光を楽しみたいならそれでもいいと思うけど、英語を勉強しに行きたい!ならちょっと違ったってなるよね。気を付けよう。あとは資金面も。本当は私はイギリスに行きたかったけど高くて行けなかった・・・
・ただ語学を学びたいということなら2週間のホームステイでも十分
→これは身をもって感じた。
・語学を学びたいというだけで中~長期海外に出るのはもったいない
→今や英語は話せて当たり前になっている時代。そんなときに語学習得だけを目標にするより、自分の専攻・専門分野を持ちそれを学びに海外へ出る方が後々の自分に役立つ。特に私は英米語を専攻していてすごく思った。自分には専門分野がないと、何も誇れるものがないなぁと。外国語を学ぶなら英語+多言語が必須だなと。なので、2週間程度のホームステイで英語を身に着けてそのあと海外へ専門分野での留学がいいかなと思う。数か月もホームステイは、「英語を身に着けたいから」という理由ならちょっともったいないかなと思った。
旅行業界で働いている時、私の周りの人はみんな海外生活・海外経験がある人ばかりだった。私は2週間のホームステイだけだったので、いわゆる「国産」で、ちょっと珍しい人でもあった。笑
でも英語力に関しては彼らと比べて劣っていなかった。なので日本にいても外国語はしっかり勉強できます!やるかやらないか、違いはそれだけ!
オーストラリアに関しては、どうやら縁があったようでこの後何度も訪れているので、私とオーストラリアはまだまだ続きます。
ですが、ホームステイ編はこれにて完結!
キンタン、元気かな。今何してるんだろう・・・(連絡先、いつの間にか消えてしまった)