Hello!! from Tokyo.

コロナを機に新しい業界に飛び込んだ元旅のプロ。東京一人暮らしのミドサー女子が今日も日常を綴ります。

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やがて自らの姿を自由に変えていくのである。

土曜日、暑いのか涼しいのか、何しよう。

 

さて先日、私は、「あ、これはちょっとやばいぞ」となった場面があった。

オーバーワークである。

 

メンタルがやられる1mm手前くらいまで来た。

風船に空気を入れて入れて入れて、やばい破裂する…!!!みたいな感覚。

 

ここからはあまり人には話していない私の過去の話である。

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私は20代の頃、オーバーワークで倒れたことがある。

働いて働いて働いて。

その時は旅行会社で働いていたんだけど、夜にメインに営業する部署にいて。

店舗のあった場所柄、夜でも客数が途絶えず毎日毎日旅行の予約を取ってさばいていた。旅行、それも海外旅行。決して安くないお買い物。

お客様の期待に応えたいし、せっかくなら楽しい旅にしてほしいと手を抜かず毎日終電まで仕事して、時には終電も逃して近くのサウナで夜を明かしたり…

夜営業といっても、朝は他の日中営業のスタッフと同じ時間に出勤することがザラであり、8時から25時まで働く日々が続いた。

帰っても、「あれ?あれはしたっけ?あのお客様の飛行機の締切大丈夫だったっけ?」と考えていることがほとんどだったし、休み明けなんて自分の担当しているお客様に関して動きがあったりしてそれを処理してなどで疲弊するので、休みの日も気が気じゃない。(明日出社するの怖いな…って感じです)

 

そんなどっぷり””旅行””に浸かってる毎日にヒィヒィ言いながらも必死に食らいついていた。でもかなりしんどかった。風船が結構膨らんでいた。気づかないようにしていた。

 

 

きっかけは些細なことだった。

(いや、些細ではないか。笑)

 

ある朝の出勤時に、当時付き合っていた人が、海外旅行に行っていたとSNSで始めて知り、目の前が真っ暗になった。

 

 

なぜ海外旅行を専門として働いている私になんの相談もお知らせもなく、海外に行っているんだと。

 

過労で膨らみに膨らんだ風船が、割れた。

気がつくと私は呼吸が出来なくなり、駅員さんに運ばれ、救急車で運ばれていた。

 

私につけられた病名は、パニック障害

 

え…?私が…?なんで??というのが最初の感想だった。

 

医者にはとにかく休めと説得され、その日のお昼ごろに帰宅出来ることに。

会社にはどうやら警察から?連絡が行っていたようで(おたくのナタリーさんが運ばれました的な)、無事ですと連絡すると、

 

「とりあえず会社に来い」

 

なんだかその言葉を聞いて、目に力が入らなくなり、割れたと思っていた風船が割れてなくて、また徐々に徐々に膨らんでいっている感覚があった。

 

会社に着いて、説教部屋(という小部屋が当時あった。別に説教だけでなく普通のミーティングにも使われていた)にいろと言われ、上司が来るのを待っていた。

 

駄目だった。

 

風船が膨らんで膨らんで膨らんで、私はまた過呼吸になって座ってる力もなくなり、椅子から落ちて倒れた。また風船が割れた。

 

部屋の近くのデスクのスタッフが物音に気付いて見に来たら、床に倒れている私がいて、ぎょっとしてすぐ上司を呼びに行き、私は上司とともにタクシーでさっきまでいた病院に運ばれた。

 

ぎょっとしたのは医者も同じである。笑

 

休みなさいと言って帰した患者が、会社の上司とともにまた同じ日に(何なら数時間後に)担ぎ込まれてきたのである。

 

医者は怒っていた。

 

上司にもキツく言ってくれて(そして帰らせていた)、私にも諭してくれた。

そして上司は私の働くペースを落とすように仕事量を調整するようになった。

 

その後私はというと、医者に紹介された心療内科に出向いてみた。

これを飲みなさいと毎日飲む薬と、また過呼吸になりそうになったら飲みなさいと頓服薬をくれた。

 

そこからは地獄のような日々だった。

毎朝会社のある駅に着くともう苦しい。

歩いて会社に向かうんだけど、9割の確率で過呼吸になる。

苦しい苦しい苦しい。息ができない。

涙が止まらない。

どうして私はこんな風に過呼吸になってしまうんだろう。

他のスタッフはやれてるじゃないか。なんで私はやれないんだろう。

情けない。苦しい苦しい。

頑張らなきゃ、もっと頑張らなきゃ。でももう頑張れない。いや皆頑張ってるんだから私も頑張らなきゃ。私はそんなに弱くない。私は弱くない。

過呼吸になってる間は大体こんなことを思って、苦しい感情と苦しい呼吸に涙が止まらなかった。

頓服薬も効いているのかよくわからない。

落ち着くと今度は体が動かせなくなってしまう。力が入らないのだ。

そして脳に酸素が行き渡ってないのか、行き渡ってないと脳が思うのか、ふわ〜っとして意識が薄れていく。

そんな話を診療時に先生に話すと、もう少し強い薬にしてみましょうと薬を変えることに。

 

今思えばこれが私の転機だったと思う。

 

その薬はぎょっとするほどの強さだった。(なんの薬だったのかは覚えていない)

やばい、また過呼吸になる…!と薬を飲むと…

 

「いぇーーーーーーーーーーい!!!!!!!みんな元気!!???私は元気ーーーーーー!!!!!いぇーーーーーーーーい!!!!!」

 

という気分になるのである。マジで。

 

心は全っ然そんな気分ではないけど、脳がそんな信号を送っている、つまり心と思考?が全くのバラバラに剥離しているような感覚である。(私には心という名の理性があったようで、自分でもいぇーーい!!というテンションとえ…なにこれ…というテンションが混在していてかなり怖かった。今まで自分しかいなかったスペースに誰か入ってきて自分に司令を勝手に送ってる感じ。)

 

上司にも「ちょっとお前大丈夫か…?やばくないか?何飲んだ??」と引かれるくらいである。

 

自分の感情を自分の意志と関係なくコントロール出来ないことが、そしてそれが外的要因(薬)でコントロールされてしまうことが、とても怖かった。

 

(ちょっと違うかもしれないけど、でも多分合ってる気がするけど、この経験があるから私は違法薬物を支持しない。そして抜け出したくてもなかなか出来ない人の力になりたいと実は思っている。私が心理学を学ぶ理由の一つである。)

 

結局その後私は、何軒か精神科を受診し、自分に合っている先生に出会い、窮地から脱することが出来た。

 

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話は今に戻る。

そんな経験があるからこそ、私は無茶な働き方は辞めた。

そして周りにそんな人がいたら、辞めた方がいいと言ってきた。

でも仕事が降り掛かってくる。

 

そしてまさに今、この過去の出来事を思い出すような事態に面していた。

 

でも私にはこの「経験」がある。

この「経験」のおかげで自分を知ることが出来た。

 

冒頭の日はもうこれ以上仕事をすると危ないと思い、退勤。

廃人のような気分と外見とオーラを身にまとい、帰路に着いていた。

もう何もしっかり考えられなくなっていた頭にぼんやり浮かんだのが

「なにか人が作った物を食べたほうがいい…」

である。

しかし、時間は22時を回っていた。

そこで頭に浮かんだのがラーメンである。

駅の近くにラーメン屋があって食べてみたいなと思ったんだった…と食べに向かった。

塩ラーメン。

美味しかった。

 

食べながら、私がこんな思いをして働いた先に一体何があるのだろうか…とぼんやり思い始め、人生って、私の人生って何なんだろうかと。

その日私は6時台に家を出て、23時前に家に着いた。

 

何だか馬鹿らしい。そしてラーメンはうまい。もっと人間らしい暮らしをしたい。ラーメンうまい。

 

と、人間らしさを取り戻し始めた。

 

そうだ!自分の人生、自分軸で生きないと!!仕事に飲み込まれるところだった…!!!今の私は、人間の形をした何かでしかなかったと思考が動き出す。

 

翌日の仕事終わり。

少し早く終わったので、帰りにデパートのコスメ売り場をブラブラしてみた。

秋コスメがたくさん出ていて、心が踊った。

そうだ、私女子だった…!

毎日メイクしているはずの自分をお店の鏡で見たら、人間なだけで着飾ることを忘れていた…と思い出す。

(いや本当にね、人間ってことも女子ってことも意識下からなくなってしまうんですよね)

 

 

そして今日、ちょっと体が怠いし疲れが溜まってるなと。別に働こうと思えば働けるけどもう働きたくない…

 

早退しました。

 

いいじゃないかこれで。

何を頑張ってたんだ。

私は私を生きるのだ。

 

そんなことを思った夏の終りでした。

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正直自分の過去の話を書くのは勇気がいったけど、同じ思いをしている人、そうじゃない人ももっと自分を大事にしてほしい。

自分を変えられるのは、自分を支配出来るのは、自分だけ。

他の誰かであってはならない。

なにかに縛られることなく、自らの姿を自由に変えていって欲しい。

 

また明日を生きるために。