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Hello!! from Tokyo.

コロナを機に新しい業界に飛び込んだ元旅のプロ。東京一人暮らしのミドサー女子が今日も日常を綴ります。

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Bohemian early spring; EGON SCHIELE.

日付が変わった、眠いけど書こう、今日は満月。

 

今日の満月はワームムーンと言うそうな。

ミミズやカブトムシの幼虫などワームが土から出てくる季節だからそんな名前がついているらしい。

 

昔の人は、自然から季節を教えてもらってたことがわかるエピソードですね。

 

さて、私は今、とても眠い。

でもお腹がかなりパンパンである。夕食を食べすぎた・・・

 

ということで、1ブログ書くことにしたのである。

 

さて、このブログを読んでくれている皆さんなら少し察していると思うけど、

私は最近慢性的に疲れ、そして少し行き詰まっている。

そんな状況を打破すべく、休みをしっかり取ったりなどして心身ともに休める

環境つくりをしている。

そしてアウトプットばかりなので、なにかインプットを・・・と考えた時に(年末あたり)そういえば旅行業界を離れて、日本にずっといるようになってから美術館や博物館へ全然行っていないと気付き、すぐさま今年の展示を調べ、気になるものをピックアップしていたのである。

 

そして今日まずその気になるリストの1つ目の、

エゴン・シーレ展へ行ってきました!!!

 

上野にある東京都美術館で開催されているこの展示。

ひっさびさに上野に行ったんだけど、とても天気良くてね。

そして上野って駅の周辺めっちゃごちゃごちゃしてるやん?

なんだか、うわ〜都会〜!!!東京〜〜!!!

って感じて、夏から横浜で働いている私はやっぱり横浜より東京のほうが好きだなとこんなところで急に実感した。笑

 

そして大きな公園を歩いていく。

もうすぐ桜が咲いてくるなぁ・・・おや、この一家はフランス人かしらね?あらこちらからは英語が聞こえる。あ、あの二人は中国からね!

ほんと国際色豊か過ぎて、海外にいるような感覚に。

なんだこの感じ、めちゃくちゃ久しぶりだ・・・と感激してしまったと同時に、

自分がやっと休みモードに入ったことを実感した。

なんだか、やっと自分のスイッチがOFFになったようなそんな感じ。

 

さて到着。ここに来たのは、クリムト展以来かな…?いやムンク展か?

とりあえず1年以上は経っている。

そして今回は、バンクシーは誰展に誘ってくれたこの人と行ってきました。

バンクシーは誰展についてはこちら↓

omr2227.hatenablog.com

 

旅行業界時代の取引先の皆さまである。

 

美術館や博物館へ行くとき、1人で行くことが多い。

それか旅行業界時代の同期や美大出身のかなちゃんなど。

でもこの人はバンクシー展に誘ってくれたし好きかな?と誘ってみたけど、

全然興味ない、と。笑

でも会うの久しぶりだしせっかくだから行こうと言ってくれて行きました。

そんな私も別にエゴン・シーレに詳しいわけでも好きなわけでもない。笑

 

さて、私たちは13時の回を予約していた。

ネット上では△になっていたけど、当日券もこの日は余裕があったみたいです。

ロッカーは若干争奪戦ではあるものの、見終わった人が次々に出てきて空いていくので苦労はなかったです。

チケットを提示していざ出発!

今回の展示はB1階〜2階までの3フロアで構成されており、見応えたっぷり…!

 

なんとなく驚いたのは、彼らの写真が残っているということ。

100年前には、そうか、もう写真が存在していたのかとなんだか感慨深かった。

 

さて、何の前知識もなく行った私達ですが、きちんとエゴン・シーレの歴史の順に展示がしてあるので、十分楽しめます。

 

第1章〜第14章で構成されていて、B1階には第5章までが展示してあります。

第5章まで見終わった感想が、エゴン・シーレのもの少なくない!?

 

それもそのはず、1章丸々違う画家の作品ばかり飾ってあったりするのである。

 

エゴン・シーレウィーン分離派の画家たち展が正しいのではないか?と思うほど。

 

しかしそれにももちろん意味がある。

エゴン・シーレがこの人達と関わり、影響を受け・与え、どんどん作風が変わっていくのだから、エゴン・シーレを知る上では大事な過程なのである。

(それにしてもちょっと多いんじゃと思ったけどw)

 

中でも、彼に一番影響を与えたのがクリムト。その時代のカリスマ的存在である。

クリムトもシーレを可愛がり支援していたとされる。

なので、クリムトの作品も飾られていてそれはラッキーでした。

特に、クリムトのシェーンブルン庭園風景には、ハッとしてときめいてしまうほど、素敵だった。

この絵ですね。色使いが繊細で多彩で、とても穏やかで静かで、でもちょっと寂しくて、なんて色んな感情が見て取れる素敵な作品でした。

 

さて1階に上がって第9章の風景画のところのみ、写真撮影が可能です。

丘の前の家と壁

 

クルマウの家並み

独特のタッチで、でもきちんと捉えていて、シーレにはこんな風に見えているんだなぁと。

そしてシーレの最終章へと入っていきます。

シーレはアイデンティティの探求をずっとしていた。

人体の研究を作品に投影させるのはもちろん、タブー視されていた、死や性行為などの倫理的に避けられていたテーマもむしろ積極的に作品にしていく。

娼婦や下町の子供などをヌードモデルにし、庭でデッサンなどを行っていたため近隣住民から疎まれ、そして14歳の女の子がシーレの家に泊まったと発言したところから、シーレは逮捕されてしまったりとなかなか激しい人生を送っている。

 

私生活では4年ほど交際していた女性(絵のモデルにもちろんなっている)ヴァリと別れ、向かいの家に住んでいた中級階流の家の娘・エーディトと結婚する。

彼女をモデルにした絵も展示してあった。なんだか愛に満ちていた気がする。

(ヴァリの絵ももちろん愛を感じたけど、エーディトとはまた違う印象だった)

 

第一次世界大戦に召集されたが、最前線に出ることは免れ、それどころか後のパトロンとなるよき理解者と出会う。

その後成功を収め、高級住宅街にアトリエを設け、成功した芸術家として歩み始める矢先に、妻エーディトが当時流行っていたスペイン風邪にかかってしまう。この時彼女は妊娠していた。そして1918年10月28日、にエーディトは死去。そして同じくスペイン風邪にかかっていたシーレも3日後の10月31日に死去。なんと28歳の若さであった。

奇しくも、尊敬していたクリムトも同じ年の2月に亡くなっている。

 

エゴン・シーレは死の床で、

The war is over-and I must go.-

My painting shall be shown in the world's museums.

戦争が終わったのだから、僕は行かなければならない。

僕の絵は世界中の美術館に展示されるだろう。

 

という言葉を遺している。

 

か、かっこええ━━━━(゚∀゚)━━━━!!‼‼‼‼‼‼

 

と、震えました。笑

 

私もそんな心構えで仕事をしたいぜと思いました。

(花は後世には残せないが…)

 

絵を書く理由ってなんだろう。

最近、見てきた作家は皆自分自身と戦っていて、その自己の表現として絵を書いている人が多いなと。いや、そりゃそうだ、絵を書くことは表現することである。

でもなんというか、うまく言語化出来ないんだけど、絵を書くことが好きで、自分独自の視点や作風で書いていると思いきや、皆思い悩んで思い悩んでその自分の人生を絵で表現しているというか…すごくしんどい思いをしている画家が多いのだなと…

そのしんどい思いを絵にして昇華しているのか、絵を書くことでしんどい思いを昇華出来るのか。日本で開催されている美術展に行くといつも画家のその内面を覗くことになる。そして絵の見方が、画家の見方が変わる。

いろんな感情を知れる。一人の人と向き合いにいってる感覚。

 

気に入った絵のポストカードとコーヒーセットを購入。

また我が家の壁に新しい画家の作品が加わりました。

 

 

その後は銀座に行きたいとのリクエストを受けて、上野→有楽町へ。

北海道のアンテナショップ、どさんこプラザで夕張メロンソフトをぺろり。

うっま━━━━(゚∀゚)━━━━!!

ザンギやコロッケも買ってしまいました。笑

 

その後は鳥貴族でこれでもかっ!てほどの鶏肉を食べて帰宅。

 

とても良い休日でした…☆

 

次はマティス展へ行きたい!