目が覚めた。
今日もまた1日が始まる。
今日は仕事。さてどんな1日にしよう。
昨日仕事中に洗い物をしていて、パン切り包丁にチーズがこびりついていたのでガシガシ洗っていた。
確かになんとなく嫌な予感がしていた。
そうゆう時の予感って当たるよね…
「痛っ!」
ということで右手親指を切った。
咄嗟に持つ手を緩めて、指から離れるようにしたのでまぁ薄く皮切ったくらいだろうと手を見たら血が出てきて、あ、これは飲食店としていかんとすぐ絆創膏を貼ってそれからはゴム手袋を装着した。
帰宅して絆創膏を剝がしてみると…フランケンシュタインの縫い目みたいな傷跡が出来ていてちょっと笑えて、なんだかちょっと気に入っている。
爪 lllllll ←親指にこんな感じで傷跡が残ってる。
さてウズベキスタン、第二弾です。
いつもは旅行者目線で書いてるけど、今回は仕事中目線で書いてます。珍道中です。
第一弾はこちら↓
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やっとの思いで空港の外へ出て、ガイドさんと合流する。
今回のガイドさんは、若いガタイのいい男性、ザファルさんだ(以後、ザファル)
ちなみに、私は英語の他にイタリア語とロシア語を勉強している。このロシア語を勉強するきっかけになった人が他でもないザファルである。
ザファルはかなり流暢な日本語を話し、顔もアジア顔なので、パッと見、日本人かと錯覚するほど。仕事柄、たくさんの日本語を流暢に話す外国人に会ってきたけど、その中でも彼は断トツだった。どうやら日本に留学していたらしい。
ぐったりしている我々(特に私)を見て、「どうしたの?」と聞かれたけど、とりあえず後で説明するよとだけ言っておいた。
さて、ウズベキスタンの通貨は "スム" である。
1スムは0.010円。紙幣は1、3、5など実に13種類もあるけど、100スム紙幣以下はあまり出回っていない。
気になる物価はミネラルウォーター1本で3,000スム(約30円)ほど。基本的にドルからの両替が好ましい。今回はザファルが両替パックということで15ドル分を1セットとして両替してくれた。再両替が難しいので、小さい額でこまめに両替が好ましい。
ちなみに私はこの15ドルを4日間の滞在で使い切ることは出来なかった…(ちなみに15ドルだけでもかなり分厚い札束になる)
時刻は16時過ぎ。
さて車を走らせ、案内を始めるザファル。
あまりの博識ぶり、そして人柄でみんなの心は一気に掴まれた。
まずたどり着いたのは、ナヴォイ劇場。
ここはオペラやバレエのための国立劇場である。
そしてタシケントでは必ず訪れる観光スポット。もちろん国立劇場ということもあるけど、実は第二次世界大戦でソ連軍の捕虜となった旧日本軍の兵士たちが建設の仕上げを行った劇場なのだ。
1966年にタシケントで大きな地震があり、8万棟近い建物が崩壊してしまったが、この劇場はびくともしておらず避難場所として利用され、その建設技術の高さに日本人の技術が称えられているという話。(諸説ある)
劇場外にはプレートがあり、建設に関わった日本人を称える言葉が日本語でも刻まれている。
遠い国で、我々日本人のことをこんな風に思ってくれている人がいるなんてなぁと一同感心していた。
ゆっくりと観光したあとはホテルへ行きチェックイン。
少し休んだのち、またバスに乗って夕食を食べに出かける。
この日の夕食はラグマンと呼ばれるウズベキスタン料理であった。
味的にはトムヤムクンにうどんを入れている感じ。
めちゃくちゃ美味しくて、これはもう一度食べたいと思うほど。
※写真が見つからなかったのでNHKあさイチさんのHPよりお借りしました。
パクチーが入っているので、パクチー苦手な人も多く、完食出来ない人もいたけど、皆さんも満足げだった。
帰りは気候もいいので歩いて帰りましょうとホテルまで10分ちょっと歩いて帰る。
初めての土地、皆町を歩きたくて仕方ないので、大賛成で歩き始める。
その途中でこの広場により、説明してくれた。
そしてみんないい気分で、ホテルへ戻り、別れる。
(ちなみにこの日はホテルで結婚式が行われており、まさかのザファルの友達の結婚式だった)ウズベキスタンの結婚式は出入り自由のようで、見てみたい人はどうぞとのことだったので私も含め、皆でちょっとのぞいて祝福を。笑
さて、明日から移動するので、皆さん早く休んでくださいね~と見送ったあと、ザファルと打ち合わせをしていたら
「さっきのレストランに財布を忘れた」との連絡が。
えぇ~~~!!!初日から!しかも財布!
すぐお店に連絡して確認したら「あるよ!」との返事。
夜も遅かったので当人にはホテルに残ってもらい、レストランまで歩いていくことに。
が、ザファルが一人では危ないと言ってくれてついてきてくれた。
そう、この旅トラブルが多く、ザファルとこんな感じでイレギュラーな対応をすることが多かったので、よく話をしていたのだ。
その中で、ウズベキスタンは公用語はウズベク語だけど、旧ソ連だからロシア語を話せる人が多いという話だった。(最近の若者は話せなくなってきている人も多いそう)
確かに街の看板にはロシア語の表記もある。
正直、ロシア語って日本語みたいにロシアだけでしか使われていないと思っていたので、驚いた。
つまりこのウズベキスタン近隣の国ではロシア語スピーカーが多いのである。ちょっとした共通語である。
その時になんとなくロシア語に魅力を感じ、よし、学んでみようと思い立ったわけである。
無事に財布を受け取り(中身も無事だった。凄い治安の良さ!人の良さなのか?)
こうやって普通に財布が返ってくることなんて0%に近いのに、日本に住んでいると当たり前になるんだよなぁ・・・
と、日本の凄さを改めて感じるとともに、完全に気が緩んでいる皆を明日から締めていかないといけないなと思ったウズベキスタン初夜であった。
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ウズベキスタンのコロナ状況は1日200人ちょっとくらい感染者が出ている様子。
どの国もまだまだ全然油断できないね。
私たちにも一体いつワクチン接種が回ってくるんだろう。
そしてオリンピックをするのだろうか。。。