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Hello!! from Tokyo.

コロナを機に新しい業界に飛び込んだ元旅のプロ。東京一人暮らしのミドサー女子が今日も日常を綴ります。

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ある男の話。

木曜日、いい天気、何しよう。

 

先日休日出勤した分、今日を休みにした。

前も書いたけど、今年になってから正直あまり体調が良くない。

めまいと頭痛が頻発しているのだ。

今日も昼まで寝て、外を見たら天気が良かったので、羽田空港に行ってパワーチャージしてこようかと思ったけど、中々重い腰が上がらず…

そして軽いめまいが来たので、少し寝ることに。

めまいが来るのは自律神経の乱れからだそうなので、整えるためにもゆっくりお風呂に入りたいなぁ…とぼんやり考えた結果、近くのスーパー銭湯へ行くことに。

初めて来た。

おぉ!東京の温泉って色が黒くて塩気があるのが特徴らしいけど、ここのはまさにそれでした。

熱めで気持ちいい〜!露天風呂も広くて3種類もあった!!

いいとこ見つけた〜!!と浸かっていると、グラッときた。

 

ん?私まだトータルで20分も浸かっていないぞ???

でもちょっと気持ち悪いな…ととりあえず上がって休む。

休憩したらまた入れるかなと思ったけど、どうにも怪しいのでシャワーを浴びて浴室を出た。ら、もうグラグラグラ…慌てて椅子に一旦座り、落ち着かせてからタオルで体を拭く。座る。ボディークリーム塗る。じっとする。顔パックする。じっとする。じっとする。じっとする。じっとする。

を実行してなんとか回復した。倒れずに済んだ、良かった。

思い返せば最近、温泉や銭湯に長い時間浸かっていられなくなっている気がする。

なぜだ??

と思って調べてみたら、

自律神経が乱れているとのぼせやすい

らしい…

自律神経整えるために銭湯行ったのに…涙。

やっかいなことになっちまったな。

 

**********************************

とある男がいた。

その人は精神疾患を患っていた。しかし本人は否定しており、通院もしていなかった。

家族が何度話しても治療を受けることを拒否した。

彼の症状に彼自身はもちろん、家族は大変な思いをしていた。

子供は離れて暮らしており、彼は妻と二人で暮らしていた。

しかし、長年の疲労と苦痛が積もりに積もり、とうとう彼の妻が倒れてしまった。

そんな状況に子供は怒り、父を悪者扱いし、母を引き取り、父を残して去った。

男はそれから一人で暮らしていた。

いや、子供だって父を完全に悪者扱いしていたわけではない。むしろなんとかしたいと思っていた。しかし、精神疾患を患っている相手を相手に話をすることは非常に困難なことである。何度も何度も何度も何度もなにか出来ないかと調べ、行動したけど、何もかもうまくいってなかった。そんな状況に傷つき、疲れ果てていた。母も鬱病と診断され、ケアに奔走していた。自分のことは後回しにしていた。そして同時に怯えてもいた。w精神疾患は遺伝性があることが現在ではわかっている。

自分も父親のようになってしまうのではないか、自分は父親と似ている。そんなことを無意識に考えては恐怖に取り憑かれていた。

 

そんな状況が長年続いていた時に、この物語に私が登場する。

 

この状況を知り、私はなにか出来ることがないか調べてみた。

大学で、精神疾患については授業があるし、さらに心のケアに関して学んでいるので、学んだ知識と、専門性の観点から考え調べた。

 

精神疾患を抱えているということは、恥ずかしいこと。言いたくないこと。

それがこの家族にはあった。その気持ちはよく分かる。私も過去にパニック障害だと診断されたことはあまり言いたくないし、わざわざ自分から話すことはほとんどない。

 

だから、家族内でなんとかしようとしていた。

 

しかし、家族内でなんとか出来るものではない。

なんとかしようものなら、家族共倒れの可能性だってある。現に共倒れしかけている。

頼れるべきところはたくさんあるということを話し、紹介した。

 

すごく目からウロコだったようで喜んでくれた。

連絡先なども全て渡した。

 

しかし、この家族は行動しなかった。

それを最終手段として、切り札として持っていた。

今やっと落ち着いてきたからもう現状維持でいたいとのことだった。

 

「え、なんで…それじゃ何も変わらないじゃん…」という言葉が喉まで出たけど、言わなかった。家族の問題に私が介入すべきではないと思ったからである。

 

そっかそっか。と返事をし、自分にも言い聞かせた。

でもそれからも細々と調べたり自分の見解を深めたりしていた。

 

しばらくは何もなかった。

妻は回復して、少しずつ元気になっていた。

ただ、子供の精神状態は荒れていた。

 

秋も深まる頃から不穏な空気が流れ始めた。

男が近隣に迷惑をかけ始めたのである。

いや、今までもそうだったのだが、とうとう何とかして欲しいと子供に連絡が入ったのだ。

子供は疲弊していた。

しかし、私が渡した切り札があるというところが希望の光だったのだろう。

連絡して、対応してもらうことにした。

しかし、その切り札である組織の人と男との信頼関係をまずは築いていかないと難しい。

そしてそれはそんな簡単に築けるものではない。そこで子供は気付いた。

「もっと早く、もらったときから行動しておけば良かった」と、私に漏らした。

 

「ほらね」とは思わなかった。

思ったところで、過去は変わらない、もう今と未来を見るしかないということで、私は新たな提案をした。

しかし、子供は疲れ切っていた。

なので、思い切って言ってみた。

「私がやるよ」と。

もちろん私は赤の他人である。だから重要な決定権はないし、行使力もない。

しかし、行動することは出来る。関係各所に連絡することすらもう億劫になっていた子供の盾になるよと申し出てみた。面倒な手続き等は間に入ってやるよと。

それを聞いて、子供は泣き出した。

「誰も、今まで誰も助けてくれなかった。ありがとう」と。

 

その言葉が、私の胸に刺さった。

誰も助けてくれない。

 

たくさんのプランを考え、1つ1つ多角的に行っていった。

どうしても男に確認がいることがあったので子供から男に連絡をしてもらっていた。

しかし、中々連絡は返ってこなかった。

大丈夫?と子供に聞くも、いつも返事遅いからとそっけない。

 

さすがに3週間ほど連絡がないことに不審に思い、関係先に相談したら、

安否確認をした方がいいと。ということで、安否確認の手続きを取るけどいい?と連絡したら、ちょうど同じマンションの住人から妻宛に、最近顔を見ないけど大丈夫かしら?と連絡が来たようで、その話を聞いて私は涙が出てしまった。

 

もうダメなんじゃないかということと、一人で暮らしてる男に、心配してくれる人が周りにいてよかったということでである。

 

管理会社と連絡がつかず、翌日の朝イチで確認してもらうことになった。

(子供は離れていてすぐに行けないため)

それがこのときの「長い夜に何を思う」である。

 

omr2227.hatenablog.com

 

家族はこの男のことを憎んでいた。

ずっと辛い思いをしてきたと。だから連絡も最小限にしか取らない。

もう関わりたくない。何なら早く死んで欲しいとも言っていた。

でも、普通に話をしてみたいと何回か言っていたことがある。

 

どっちも本心なんだろうなと私は思っていた。

男が悪いんじゃない、悪いのは病気であり、男も苦しんでいるというのが私の揺るがない見解であって、それも家族に話してはいた。納得はするものの、それでもそんな風にはもう考えられないと家族は話してくれた。もう絡まりまくったネックレスのようになっていた。

でも根気よく解いていこうと私は思っていた。

難しいけど、何年かかるかわからないけど、普通に話が出来ることを、密かに目標に上げていた。

でももし、いなくなってしまったら、この子供の精神状態はどっちに転ぶのだろうかと考え始めてもいた。いわばずっと長い間、支配されてきた存在が急にいなくなったら、この子供はどうなるのだろうか。後悔するのだろうか、それともスッキリするのだろうか。いやそれはないか。前者に近いのではないか、その時私はどうしたらいいのか。

そんなことをぼんやり考えていた。

 

長い夜が明けた。

 

男は亡くなっていた。

たった一人で逝ってしまった。

 

何日も経っていた。

こんな寒い季節に、辛かっただろうと思うと涙が出た。

 

子供は淡々としていた。

感情が読めなかった。

 

 

数日後連絡が来た。

 

どうして、父一人に押し付けてしまったのか。家族で病気と闘わなければいけないのに、父一人に押し付けた。見殺しにしたのも同然だ。と自分を責めまくっていた。

 

そして、私だったら救えていたかもしれない。と言われた。

 

何も言えなかった。

私の存在が子供を責めることになってしまっている。

 

 

 

 

 

 

この男は、精神疾患を抱えていた。

もちろん自分の意志ではない。

そして家族に疎まれ、憎まれたまま一人で亡くなってしまった。

 

なんてことだろう。どんな人生だよ。

そして家族は家族で、自分たちの精神状態もギリギリのところで生活している。

何も憎みたくて憎むわけじゃないだろう。

そして後悔の波に今、押しつぶされかけている。

この家族の場合、30年以上苦しんできた。

 

誰も助けてくれない。

 

もっとケアが出来ないのだろうか、出来るところはないのだろうか。

調べたら出てくるけど、どれも地域差が大きいし、中々知られていないことが多かった。

精神疾患者自身のケアも薄いのに、その家族のケアなんて本当に本当に少ない。

これが現状である。今回身を以て知った。

この状況、どうにかならないのかな。

私は今後、ここの部分の力になれないかな。

 

私が行動している中で、自分の感情まで引っ張られそうになった時関係先にかけてもらった言葉がある。

「覚悟して介入したんでしょ。なら最後まで覚悟を持って付き合いなさい」

 

だから私はこの先もずっとこの家族と付き合っていく。

 

でももっと、肩の力を抜いて頼れるところが身近にあれば、結果は変わっていたのかもしれないし、変わっていくのかもしれない。

 

気付いてしまったら、やるしかない。

 

寒かったでしょう。辛かったでしょう。

どうか、穏やかで温かい場所でゆっくりお休みください。

私はあなたを、忘れません。